日比谷公会堂の図面
市政会館を含み総工費300万円で建設された日比谷公会堂。 2階部分には、ステージと階下席(1,052席)のほか、階下席から通じる中央大広間があります。中央大広間は音楽会などでロビーとして使われ、曲間に観客が歓談の時間を過 […]
佐藤功一がこだわった細部の意匠
タイルは、佐藤功一自ら名古屋のタイル工場におもむき、10数種類の見本を検討し、高さや角度を変えて貼り合わせたり、光線の反射の具合を調べたりしながら、建物との調和を考えて何日も選定したといいます。 現在は外されてしまったシ […]
日比谷公会堂のステージ
ステージ上手と下手には、公会堂建設の功労者である2人のレリーフが飾られています。 上手側は350万円の寄付を決めた安田善次郎、下手側は計画を実現させた後藤新平です。
近代ゴシック形式による華麗な公会堂の完成
設計は、大正11年に著名な建築家8名による懸賞競技の結果、早稲田大学教授工学博士の佐藤功一の案が採用。工事は同氏の監督により清水組が請け負いました。会館全体の使用面積は3,966平方メートル。 東京でも名だたる軟弱な悪地 […]
大首都建設計画プランの熱意に動かされた刻苦・勤倹の銀行王
安田善次郎翁は安田財閥の創始者です。その80年の生涯は、刻苦と勤倹の権化と呼ばれるほどの倹約家でした。後藤新平伯の「8億円計画」の発表以来、その熱意と進歩性とに深く感激し多大な関心を示したのです。 結果、勇気ある決断とし […]
「都市生活における市民の心の灯火」を〜後藤新平伯の意志
大正9年12月に首都東京の刷新を決意し、東京市長となった後藤新平市長。機構の全面改革、新吏道の提唱など、卓越した識見を発揮し、市政を改革していきました。 大正10年には、「8億円計画」と称される大首都建設プランを発表。そ […]