設計は、大正11年に著名な建築家8名による懸賞競技の結果、早稲田大学教授工学博士の佐藤功一の案が採用。工事は同氏の監督により清水組が請け負いました。会館全体の使用面積は3,966平方メートル。
東京でも名だたる軟弱な悪地盤だったため、地下工事は多くの困難を招きました。地上工事は順調に進み、昭和3年に定礎式が行われました。翌4年10月には会館および公会堂の落成式が挙行され、公会堂部分は東京市の管理に移行されたのです。
公会堂の会堂開き(こけらおとし)は、昭和4年10月20日。
午前・午後は「児童の会」、夜は「音楽会」でした。
ステージの上手下手には、日比谷公会堂建設の貢献者である安田善次郎翁と後藤新平市長のレリーフが飾られています。
