日比谷公会堂の父 安田善次郎翁

大首都建設計画プランの熱意に動かされた刻苦・勤倹の銀行王

「名声を得るためではなく陰徳でなければならない」。貧窮の身から安田財閥を築いた安田善次郎の篤志が、日比谷公会堂の建設計画を後押ししました。

安田善次郎翁は安田財閥の創始者です。その80年の生涯は、刻苦と勤倹の権化と呼ばれるほどの倹約家でした。後藤新平伯の「8億円計画」の発表以来、その熱意と進歩性とに深く感激し多大な関心を示したのです。

結果、勇気ある決断として、当時として破格の350万円(当時の公務員初任給が約70円)を調査機関設定の募金として寄付することを決定しました。大正10年に安田善次郎翁は、凶刃によりこの世を去りますが、遺児である二代目安田善次郎氏が、志を継いで翌11年に350万円と、東京市本所横綱町にあった本邸4,521坪の寄付を申し出ました。

先代の意志として、
1―調査会は、寄附金をもって公会堂を付設した会館を建設するとともに、本邸内にも公会堂を設けること。

2―会館の位置は、日比谷公園北東隅とすること。

3―会館が完成したときは、その公会堂部分は東京市の管理に委ね、その収入は市に帰属させること。

4―本所の本邸の建物・庭園は保存し、その地内に寄附金による公会堂を建設し、公会堂及び庭園は、調査会が市と協定のうえ、市に寄付すること。
という内容が盛られました。

その後、調査会・東京市・安田氏の三者間調整が進み、調査会大正11年にが財団法人となり、後藤新平伯爵がその会長に就任。念願の日比谷公会堂の建設申請が出され、計画が現実のものとして動き出したのは、翌大正12年のことです。

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安田善次郎